氣功や太極拳で使われる
「放鬆 ファンソン」という言葉
使う人によって、かなりニュアンスが違うと思うが
私の放鬆(ふぁんそん)は、以前にも書いたように
『私の体内のゆるんで出来た隙間に氣が満ちて、それが繋がってひとつになる。
どんどん膨らんですべてをを包み込み、内蔵や骨などの存在も消えてゆく。
皮膚の存在も消えて、それは私の周りに広がってゆく。
私の存在はなくなり私の周囲と一体になる。
一体になった空間が広がり自然との一体感は増してゆく』
私の「天地と繋がる」と「ふぁんそん」 より
これがだと思っている。
しかし、この状態になるには
現在の私では、段階を踏んで少し時間をかけないといけない。
ある程度の緩んだ状態でないと細胞レベル(私のイメージ的にだが)
にまでアクセス出来ないのだ。
つまり、上記の状態にまでは至らないということだ。
無極は… 空(くう)で「ふぁんそん」
↑ ここにリンクが貼ってあるが
私がふぁんそんテクニックを教わっている
和気信一郎先生はいつも緩んでいる状態らしい。
私は普段から筋肉や関節にも要らない力が入っている事が多い。
まず、そこから緩める事が必要だ。
自分の要らない力が入っている所、凝っている所、ほぐすべき所、
その箇所の把握と、普通に緩める自分なりの方法は出来るようになっている。
つもり… だがσ(^_^;
今期のふぁんそん教室は欠席が多かった私だが、
ふぁんそん教室時に、イマイチ『ふぁんそん』しきれない、
緩みきれない、『ふぁんそん』に至らない時がある。
というか…
あの場所で『ふぁんそん』までは
私には難しい。
それは勉強段階で、自分のものになっていないから
交感神経が多く働いているからかもしれないが、
ひとりで部屋の中でか、自然の中でが
今の私にはベストだ。。。
和気先生の「ふぁんそんテクニック」は
最高に素晴らしいと思う。
しかし、私がふぁんそん教室に参加していて感じたのは
自分が如何に心身ともに固まっているかの自覚と
ふぁんそんテクニックを始める為の普通に緩んだ状態に
なっていることが必要なんじゃないかと…
他の参加者の方もね…
それより、多くの人の「ふぁんそんテクニック」への
理解がされていないのが残念…
それと、これは使えるということだけを
分かっていない出来ていないのに
自分のしている事に取り入れる…
それでいいのだろうか…
なんだ偉そうに
お前はどうなんだ、分かっているのか!
と言われそうだなσ(^_^;
ごもっともでございます。。。
m(_ _)m
私は、『ふぁんそん』を深めたい。
何かをする為に『ふぁんそん』を学びたいのではない
『ふぁんそん』が始まりであり、『ふぁんそん』を極める。
私を
知りたい!
みたい(心で)!
感じたい!
そんな想いだ。
勿論、『ふぁんそん』は
すべてのことに生かされると思うけど…
今日のふぁんそん教室と親睦会に参加できないので
今の想いを呟いてみました。。。