2012/12/31

2013年は内なる自己開発 (^O^)/


大自然の中で、何も考えず自然の声に身を任せる。
自分の肉体はなくなり、周りと一体となる。

ぼぉ~~ ~~  ~~ っと、
そういう感覚が目醒めるまで ゆだねる。

一体感となり、その感覚が宇宙にまで拡がったっら
今度は、自分の中へ・・・ ミクロの世界へと入っていく。
奥深く・・・ そこにはマクロの世界がひろがる。 

ふぁんそん。。。

いつでも、どこでも、すぐに
そういう状態になれるようにしたいね。。。 (*^^*)





漠然とだけど…

太極拳に関して、何かを習いたい、誰かに習いたい。
そう、最近ずっと思っていたんだけどね(^^;


なんだか…

何かが…

吹っ切れた〜(^O^)/




もっと、内なる自分と対話したい、自分の全てと一体になりたい。

外へ求めるんじゃなくて、内へ向おう!

そう思った*\(^o^)/*



精神世界ということではなく、
内感覚、体性感覚的なことを深めたいということ。




と、いうことで

『2013年は内なる自己開発』 (^O^)/





2012/12/30

健体康心


年の瀬ということもあって
昔ほどではないですが、なんだかバタバタと(^^;

最近、日記を書けていませんでした。


この一年振り返ってみて…



体調を崩して5年くらいのブランクの後
昨年の8月に太極拳を再開した。

さすがに体力も筋力もないので
最初は全く太極拳にならない、動けない。

一からやり直しかな…

そう思ったけど、
少しずつ昔の感覚を取り戻してきた。

でも体力がないから、ほんとに短時間しか出来ず、
筋力は中々ついてこなかったけど ね(^^;


身体は…

細胞は…

記憶は…


残っているものなんだね(*^^*)



昔も太極拳は好きだったけど自由ではなかった。

今は心身共に自由。


飴も鞭もない(^^;
規制も、探り合いも、取り繕う必要もない。


でも…

また太極拳をしている自分は想像できなかったな
Twitterでの出逢いのお蔭、ほんとうに感謝している。


そして、太極拳に対する意識も
自分自身の内感覚もかなり変化した。




「健康」の語源は、

中国の古典の『易経』にある『健体康心』で

「健やかな身体と康らかな心」 



現在は、
健康な状態で、楽しく気ままに自己練功中。




さぁ、新しい年は。。。
  

 (^_−)−☆


2012/12/20

立つこと秤の如く、動くこと…


「立如平准、活似車輪」
立つこと秤の如く(立身中正)、動くこと車輪の如し(連貫円活)


全身を前後左右に傾けたり偏ったりすることなく、まっすぐな姿勢を保つこと
だよね~



太極拳の動作

それも 「秤の如く」 とういことか・・・



姿勢のことか・・・


陰陽 虚実 剛柔 などのバランス

バランスが取れているというのは 5:5 ということではなく
6:4 であったり 9:1 であったり 1:9 になったり では・・・

常に変化するなかバランスをとりながら動作する



そのバランスは・・・・

外見ではなく、内側が重要では・・・



と、思ったり…  (*^^*)

2012/12/17

一動全動とは・・・ 


同じ内側のウゴキでも
身体が止まっている時と、動いている時では違う…

動作によって氣を導く時と、氣によって動作するというのは
違う…

部分を動かすのと、繋がりの動きによって部分が動くのは
全く違う…


それらは、外見では分からないのか?
誰が見ても分かるのか? 分かる人にしか分からないのか?



そんな事を、ふと思った(^^;;




太極拳で同じ動作でも
内側の流れ繋がり感の違いによって、それは全く違うものだ。


太極拳においても『ふぁんそん』が重要だと
私は思っているし、いつも言っているが、それは全身なのだが、
まったく力を使わないわけではなく、下半身は上半身よりも筋力が必要だ。

それでも、常に力が入っているわけではなく、ギュッと踏ん張るような
筋肉を硬くした力でもない。

陰陽虚実の移り変わりに伴い、動作と同様に、大河の流れのように
力の入っているところは変化していく。


『氣+筋膜』 の繋がり流れが、
太極拳のチカラ⇒勁力なのではないかと感じている。

筋筋膜経線(アナトミートレイン)と呼ばれる筋膜のラインがあるが
今言いたいのは、それではなく、
全身に張り巡らされている筋膜+氣によって全身の繋がりが出来る。

つまり、手・腕・脚など部分ではなく、全身がひとつになり勁力により動作となる。

外見、手だけが動いていたとしても、身体の中は全ての所が動いている。
内の流れはあるが外見は動いていない所もあるということ。

言い換えれば、
一ヶ所動作をする為には、内側は全身が動いているということ。

『一動全動』という言葉はそういう事ではないのか・・・




そんな事も・・・ 思った(^^;;




これは、先日も説明に困った動作時に「腰が緩んだ・・・?」ことによって
自由度が増した感があり、そんな繋がり流れ感が深まったから、
そう思ったのだと思う。



あっ これは、個人的にふと思ったまでです(^_-)-☆




2012/12/15

ベンガンと剣と太極拳とふぁんそん


ベンガンの基本功を時々は室内で行っているのだが
あちこち棒が当たるので気になって思うように出来ない。

今日は、外に出ての練習。
棒を持っている手を滑らせて持ち直すという動作が
スムーズにいかなかったが、少しずつだが慣れてきたかな(^^;

移動基本とういのをおこなっているが、ちゃんと覚えられてはいない。
やっぱり左手の方がぎこちなさ倍増だし(^^

全体に筋力はないのだが右肩は昔痛めたことがあり弱いので
片手で回し支えたりする動作はかなり重さを感じるね。
無理のないように楽しみたい(^_−)−☆


それから、42式太極剣を3回ほど。
昔やってた感じ、リズム、流れなど少しづつ身体が思い出してきた。
まだ、全套路スムーズには流れないな(^^;;

でも、昔の硬い動作とは全く違うのを感じる。
体の中が緩んできたので無駄な力が入らず、繋がりでの動作が出来る。
ふぁんそん効果だ(^_−)−☆

楊式太極拳を2回。
今日は剣でも腰も膝も痛くならなかったな。

腰が入っている?しっかり座れている?
腰がゆるんだ?  … … なんとういのだろうか(^^;

ともかく今日は
自分でもその違いが分かった(^_^)


2012/12/13

アバターとドラゴンボールで氣功(^_-)-☆

映画 「アバター」
アバター(Avatar)の語源は、
サンスクリット語のアヴァラータにあたり化身の意味だとか。
そして舞台となったのはパンドラという惑星。
パンドラの箱を開けるとありとあらゆる災厄が飛びだしたが
最後に残ったものが希望。というギリシャ神話とリンクだね(^_-)-☆

映像としても美しくて、
全体としてもいろんなメッセージも含まれて好きなんだけどね。
パンドラ自体が巨大な生命体で、その生命体自体がエイワ。
先住民のナビィ。
そのナビィと人間のDNAから造られたのが、同化?遠隔操作?
によって動くアバターというカラダ。
そんな感じかな (*^^*)

あらすじまで語れないので、この辺で(^_^;


すべては自然の一部
生命エネルギー(氣)は借りているだけ


繋がり・・・ 一体感・・・ エネルギー・・・  

まさに氣功だ~と、いうシーンもある。

私が実際行うときも、あのイメージは、いい(*^^*)


最後にエイワに、アバターというカラダからナビィにしてもらうのは
まさに覚醒だよね(*'-^)-☆

あっ ナビィは自然と一体になれる♪♪



後は、アニメのドラゴンボール。
そう詳しくはないけどね~

かめはめ波で氣のエネルギー玉をつくるときや
元気玉で宇宙中の全てのものから氣を少しずつ分けてもらうイメージは
私が氣のボールをつくるときや採氣をするとき、感覚的に役立っている(^_−)


と、こんな感じで
私は、おバカになって氣功を楽しんでいる(・ε-。)⌒☆



2012/12/07

開放感。。。 一体感。。。 至福感。。。


座禅・・・



瞑想・・・



氣功・・・ 




今、私がしているのは何なのかな・・・ 

夜、就寝前にしたりしてるんだけど
自分流でだけどね

昼間もチョコチョコとは、やったりするけど

まぁ~名前はどうでもいいんだけどね(*^^*)



心も身体も『ゆるめた』状態で、
あぐら?らしき座り方(蓮華座も出来ないから(^_^; )で


百会、印堂、壇中、命門、湧泉、労宮…  など
ツボを開いてやる



ゆっくり 吸って・・・ 

ゆっくり 吐く・・・



開放感。。。



一体感。。。



至福感。。。













結跏趺坐 (けっかふざ)は、仏教ヨーガにある瞑想する際の座法結加趺坐と書く場合もある。
「趺(あし)」とは足の甲のこと、「結」とは趺を交差させ、「跏」とは反対の足の太ももの上に乗せること。したがって趺を結跏趺して坐(すわ)ることをいう。結跏趺坐は足を結んだ形をしているのが特徴である。片足を乗せる上下で吉祥坐・降魔坐と呼び、その意味も異なる(後述)。
なお、足を結んだ形ではなく、両足を重ねる座り方を、半跏趺坐(はんかふざ)という。

  • 吉祥坐(きちじょうざ)、左足を右腿の上に乗せ、右足を左腿上に乗せる方法。脛の交差は右が上となる。蓮華坐(れんげざ)ともいい、悟りを開いた者の坐法である。
  • 降魔坐(ごうまざ)、右足を左腿上に乗せ、左足を右腿の上に乗せる方法。脛の交差は左が上となる。修行中の姿をあらわす坐法。



2012/12/05

自分のチカラで生きる(^_−)−☆


中村勘三郎さん、ご冥福をお祈りいたします。

中村勘三郎さんの病状は
・食道ガンの術後、ARDS(急性呼吸促迫症候群)発症で
   ICU搬送 
・肺胞が浮腫を起こし機能しなくなり肺水腫の病態 
・肺に酸素を送り込む器具では酸欠状態が改善せず 、エクモ
   (体外に導いた血液に直接酸素を送り込む人工肺 )使用
・エクモ使用指針=人工呼吸器による治療では低酸素状態が治らず
    死亡率が8割以上 と想定された時に決断するとされている。
    いわば最終手段  だったようですね。


実家の父は、万が一の時は医者の判断で人工呼吸器をつけるという承諾書にサインはしたが、口からだと思っていた。急変して着けたという連絡もなしだった。前日は普通に会話もしていたし、いつものように次の日に行ったら、麻酔で眠らされ気管切開喉に管が刺さっていた。麻酔をしていないと本人が取ってしまうからだとか。それから何日生きたんだったかな… 麻酔をかけられたそのまま目覚めることもなく亡くなった。

嫁ぎ先の母は癌だった。診察、手術、抗ガン剤治療など本人の決断でおこなっていたし、自分だけが知っていればいいから家族には言わないでと先生に言っていたようだ。少し痩せてはきていたが3年くらいは元気だったし、本人も調子はいいと言うし、安心していたら… 末期の末期になって先生から…手術した時はすでに末期だった、もういつ命が終わってもおかしくない状態だと聞いた。それから数ヶ月は生きたが、食べても痩せていく、食べられなくなる。栄養の点滴。入退院を繰り返し、家がいいと帰ってきたが、結局本人の希望で病院へ。延命処置をしても苦しい時が長引くだけで回復する見込みはなかったので、痛みだけとってもらい延命処置は何もしないとお願いした。輸血を繰り返し人工呼吸器をつけ少しでも長く生かしてあげた方がよかったのかな…   そんな状態でも母はまだ死ぬとは思っていなかったから…  と、その直後は思ったこともあった。

様々な生きかたがある。

私は自分のチカラで生きられない時は、
それが寿命だから私は私の命を終えるときだと思っている。

でも、氣功と太極拳で私の寿命はなかり延びたんじゃないかな
これから、さらに延びると思うしね(*^^*)

死ぬまでは、しっかり生きるよ( ^_−)−☆


2012/12/04

『ゆるめる』ことが難しいのは、本能?


股割りをしていて思った。


なんだ…

今日はスゴく力が入っている。


抜こうと思えば思うほど
抜けない…


ふっ と、心を緩めたら
力も抜けた!


今夜は何だったんだろう?

今観ていた映画のせいだったんだろうか^^;
「運命を分けたザイル」
雪山で遭難した登山家の奇跡的な生還劇
インタビューと再現映像で
生きる為のたたかい… 人間の生命力…

だったから… ^^;



そうか…

『ゆるめる』
ことが難しいのは、本能では?


生きるために
力を入れて護っているから、
力を脱いて無防備になるのが怖いのだ。

本能的に…  


そんな気がした。



2012/12/02

鍛錬と鍛練の違いは?


今日、Twitterで気の舞仲間の松村さんが
『練』から『錬』に書き改めることにした。と!

それをみて自分は反対だな〜と思った(*^^*)



『タンレン』に関してだけど、私はもともと『練』を遣っていた。
ネット上でも、どちらの文字も使われているから、

検索してみたら…


練:糸を煮て、やわらかくし、 つやを出すこと
錬:金属をとかして、まじりけのないものに作り上げること

精神的なつらい修業の意
鍛錬叩いて叩いて硬くて強いものを造る意

技、精神などを鍛えることの意味には
どちらも遣う


金辺の『鍛錬』刀(鉄)を鍛えるという意味

糸辺の『鍛練』心身、技能を磨く(練る)という意味


氣功や太極拳で遣う場合に
もっと違う意味合いがあるのかもしれないが
私が氣功や太極拳などで遣う『たんれん』は
やっぱり『鍛練』だなっという結論になり

私、個人的には『たんれん』と入力して錬と出ると練にして
あえて『鍛練』をつかっている(*^^*)





2012/12/01

勁力トレイン自動運行(^_−)−☆


今日は公園で太極拳と剣。

緩めてほぐして、いろんなスワイショウ(*^^*)

そして、池の柵の高さが丁度いい感じだったので
脚をのせて圧腿!

普段、あまり圧腿やってなかったけど
動作した時の股関節の稼働範囲、滑らかさが違う〜♪( ´θ`)ノ

毎日、真面目にやろう…(^_−)



太極拳は いつもの楊式套路

最初は、ゆっくり… ただ、ゆっくり 
自然の中でゆらぎながら

次は、地の氣を足裏の湧泉から採り入れて
呼吸と氣の流れで動作となるように。

そうそう~ 意識しなくても
『勁力トレイン自動運行』が目標だね(^_−)−☆



42式剣は、套路はなんとか憶えてるけど
まったく剣にチカラがない、萎えてる…^^;

帰ってきてから、気づいた!

剣は腕の延長なんだけど
意識するところと、チカラを入れる所が違ってた!

身体の動作は
丹田からの動きになるようには気をつけてたんだけど
どうやら腰を動かしていたらしい、帰宅してから腰が痛くなった^^;


それから
24式をひっさしぶりにやってみようかな〜
と、やってみたら、なんと套路がアヤシイ… ^^;

やっぱり、しないと忘れちゃうんだな^^;










『ゆるめる』にも色々ある(^_−)−☆


今日は、身体を動かせていないな…



も? かな (^^;;


最近、私は手っ取り早く身体を大まかにほぐすのは
アナトミートレイン(筋筋膜経線)のラインを繋げる。

アナトミートレインは走る時は速いね(^_−)−☆ 
歪み滞りは一瞬で解消する。
いらないチカラは抜ける。

朝とか仕事の合間とかにも、ちょちょとよくする。
私はこれでは真には緩まない。

夜など時間があれば、坐式でじっくりと奥まで細部まで
呼吸と意念で緩めて『ふぁんそん』する。



わっ  こんな時間だ(^^;;
最近また寝るのが遅くなってる…

オヤスミ~