同じ内側のウゴキでも
身体が止まっている時と、動いている時では違う…
動作によって氣を導く時と、氣によって動作するというのは
違う…
部分を動かすのと、繋がりの動きによって部分が動くのは
全く違う…
それらは、外見では分からないのか?
誰が見ても分かるのか? 分かる人にしか分からないのか?
そんな事を、ふと思った(^^;;
太極拳で同じ動作でも
内側の流れ繋がり感の違いによって、それは全く違うものだ。
太極拳においても『ふぁんそん』が重要だと
私は思っているし、いつも言っているが、それは全身なのだが、
まったく力を使わないわけではなく、下半身は上半身よりも筋力が必要だ。
それでも、常に力が入っているわけではなく、ギュッと踏ん張るような
筋肉を硬くした力でもない。
陰陽虚実の移り変わりに伴い、動作と同様に、大河の流れのように
力の入っているところは変化していく。
『氣+筋膜』 の繋がり流れが、
太極拳のチカラ⇒勁力なのではないかと感じている。
筋筋膜経線(アナトミートレイン)と呼ばれる筋膜のラインがあるが
今言いたいのは、それではなく、
全身に張り巡らされている筋膜+氣によって全身の繋がりが出来る。
つまり、手・腕・脚など部分ではなく、全身がひとつになり勁力により動作となる。
外見、手だけが動いていたとしても、身体の中は全ての所が動いている。
内の流れはあるが外見は動いていない所もあるということ。
言い換えれば、
一ヶ所動作をする為には、内側は全身が動いているということ。
『一動全動』という言葉はそういう事ではないのか・・・
そんな事も・・・ 思った(^^;;
これは、先日も説明に困った動作時に「腰が緩んだ・・・?」ことによって
自由度が増した感があり、そんな繋がり流れ感が深まったから、
そう思ったのだと思う。
あっ これは、個人的にふと思ったまでです(^_-)-☆