2013/01/11

太極脚に節節貫串。。。


昨夜は、なんだか・・・
あまり 動く気になれなかった・・・(-。-;



これらは、太極拳をする前だけではなくで
日々の生活のなかで、朝とか昼間にもおこなったりするんだけどね(*^^*) 

*筋筋膜を繋げる
 (止まった姿勢で内観して筋筋膜ラインを繋げる・自己流)

ふぁんそんテクニック(和気さんの *^^* )

などをしてから、太極拳のトウロを一回だけ・・・
それは集中出来なくてダメだった。

いつもは意識(意念)することろなど変えたり変えなかったり(^_^;)
2回3回とするんだけどね。






で、またまた
「北京で太極拳」より一部引用させて頂きまして・・・

( ↓ こちらのブログへのリンクが貼ってあります)

足首の放松。。。  

“太极拳の根は脚にある”
脚は全身(足首、膝、胯、腰、肩、肘、腕)にある九大関節の根基となる。


“劲は脚から“

過去から数多くの太極拳関係の書籍で語られている言葉です。
太極拳を学ぶ人は脚の訓練を軽視してはなりません。


太極拳で必要とされる太極脚とは、両足が放松して下に落ち大地と一体となる。

⇒足指が踏ん張ったり摑んだりしていない。

脚と足首の関係について。

脚が放松していても足首が放松していない状態というのはパイプが不通となって
いるのと同じことです。
これはそのまま全身放松への悪影響となります⇒放松が頂きへと到達しない。
節節貫串が手指にまで至らない。

松脚と同时に足首からも力を抜くと、膝は自然に放松します。

そして、その脚松が上に向かって全身放松を導き出すのです。

老老子の言葉
九階建の建物を建築するには、まず土から始める。
千里を行く時、先ず足を鍛える。

太極拳も又、足から始まる。
拳論:全ての根は足にある。足から腿、腰へと力は一气に流れる。

例えば虚実の転換を考えた時、弓歩になる前の虚歩で、

先に後ろ足首頚を緩める(虚)と膝、股と関節へと放松が伝わっていき
(前脚にも自然に同じ作用が生じる)、自然に足裏が地面を蹴り出して
(実)重心を前足へと移動させ弓歩が完成します⇒虚脚が実脚となる。
これを減加法と呼びます。


前回は、腰(股関節)の放松でしたが、今度は足首の放松の重要性。

なるほど、『太極脚』ですか・・・

なるほど、『節節貫串』ですね・・・







追記、
北京で太極拳ブログのコメント欄にあったこちらのことばが奥深い
太極拳の力は、関節の放松(陰)による力(陽)の出し方の研究の・・・」

百日練功 6日目

2013/01/09

これが太極拳のファンソンだ!


北京で太極拳 
「股関節の緩み」より、以下一部引用させて頂きました。
こちらのブログはとても勉強になります。



股関節を緩ます。
時によって、股関節のみを緩まそうとしてしまいがちですが、、

足を肩幅に開いた状態で、
頭を上に吊り上げ(虚領頂頸⇒いかなる時でも吊り上げていなければならない。
大椎も後ろに張っている)~肩を沈めながら息を吸う(沈肩墜肘=肩関節の松開
⇒肘~中指へと突き抜けていく)⇒吸った息は丹田に沈める(含胸・気沈丹田)
⇒同時に肛門を上に引き上げる(尾骶骨の先を前に向ける⇒尾闾中间)ように
すると、背骨の一つ一つが伸びる感覚が生じる(抜背・立腰の完成=背中が
背骨を中心に後ろに張りだして弓を成す⇒これを龍に例える場合もある)⇒
自然に、股関節・膝・股関節が緩む(=収臀・圓裆の完成=臀部が収まり、
股関節はアーチとなる⇒“腰が入る”)。
※上記は、ほぼ同時に行われる。

股関節が緩む(ファンソンが出来ている)~というのは、
「立身中正・気沈丹田が完成した」という結果なのです。

腰は股関節(胯=腰骨の外側)を回すのではなく、
丹田に落とした呼吸の運用(意識による)によって回す~手もしかり、、



意守要求:
不可用心守 不可无意求
用心着相 无意落空
绵绵若存 似守非守
有如清溪淡流

意識し過ぎないように(強制的ではない) 
無意識にならないように(無目的ではない)
丁寧に意識を継続させるように 意識が途絶えて空とならないように
絶えず意識が存在するように 意識は自然であるように
例えるなら 清渓が淡々と流れていくように  







私が、したいのは、言いたいのは
これなんだ!と、思った。

こちらの説明はとても分かりやすく導きやすい
今なら・・・^_^;

同じことを聞いても、功を積み重ねていくうちに
理解や感覚はかなり変わってくるんだよね。



股関節が緩む(ファンソンが出来ている)~というのは、
「立身中正・気沈丹田が完成した」という結果。

丹田に落とした呼吸の運用(意識による)によって動く。




意識し過ぎないように(強制的ではない) 

無意識にならないように(無目的ではない)


丁寧に意識を継続させるように 

意識が途絶えて空とならないように

絶えず意識が存在するように 

意識は自然であるように


例えるなら 

清渓が淡々と流れていくように。




昨夜の練功のあと気づいたことも含め、反省をすると
私は、意識(意念)し過ぎていて流れを強制していたのかもしれない。
そして『ふぁんそん』ということに意識がいっていたんだ。
立身中正・気沈丹田が完成していないまま太極拳をしていた。

私が普段言っている『ふぁんそん』と
太極拳のファンソン(立身中正・気沈丹田が完成)とは違うことを
再認識した。

もちろん『ふぁんそん』が出来ていれば、
太極拳のファンソン(立身中正・気沈丹田)も出来やすい。

何をするにも『ふぁんそん』が私には基本。


今夜はいい感じ(^_-)-☆
百日練功 5日目。。。





下半身の『ふぁんそん』だ(^_−)−☆


少しほぐして、緩めて…
かなり緩んだな… と思い、太極拳のトウロを始めた。

はじまりから、
『ん?』と、緩んでいないところを感じたが
やっているうちに緩んでいくだろうと続けた。

結局、最後まで変わらなかった…(ー ー;)

もう少しほぐし緩め、再度トウロをした
一度目よりは、良くなったが、イマイチだった。


あっ…
後から分かった!


一番肝心なところが緩んでいなかった。

下半身…   
 腰…   
骨盤…  
丹田まわり…


この辺りが緩むと
全身が緩み、全身が繋がり、全身に流れる。

 最近、そう思うのだ(*^^*)


昨夜は出来なかった…
上半身は緩みやすいが、下半身は難しいな…(^^;;


あっ、萎えたりダラっとしたりではなく
『ふぁんそん』ということですね(^_−)−☆


昨夜の書けずに寝ちゃったので、昨夜の分の日記です〜
百日練功 4日目。。。