2013/06/14

調和。。。

 

図25              図26

図25は、上の円が「天」を表す円、下が「地」の円です。
その二つの円は同じ大きさです。
それを昔の表現で、「天地同量」といいます。

太極拳でそれを説明すれば、

「天」とは、腕に、「地」とは足に当てはめることができます。

すでにお分かりでしょうが、この図形の理解は固定させてとらえてはいけません。 

この図形は、物事を「全体として」とらえるためのものです。

人間も哺乳類で、犬や猫と変わりありません。

もともとの体形は、両手も両足も、「同量」に全身の体重を支えていたのです。
ところが、「知能」が発達することで、両手が、地面から離れ、体重を支える
仕事から解放されました。
もちろんこれは「進化過程」に生じた変化で悪いことではありません。
それで両手が「天」に両足が「地」に別れたのです。
しかし、手は「知的」な働きに従事して、「体重を支える」はたらきを
忘れてしまいました。そこで、両手は軟弱になり、「武術的な強さ」が
分からなくなってしまったのです。
人体の中心である「丹田」がはたらかなくなったのも、
手と足が同量でなくなり、バランスを保てなくなったためです。
武術を理解するためには、もう一度、手が足と同じような「支える」力を
回復できるようにトレーニングしなければいけません。
そうすれば、丹田は自然に中心に作られます。
人体で「丹田」が太陽系の「太陽」なのです。
図26は、右手と左足が同じ力で、「全身を支えあっている」ことを表しています。


(上記 真北斐図の太極拳HAO!の
     図形講座 http://otm.xrea.jp/zukei/zukei-7.htmより)


こちらの説明が、ワタシ的には凄く分かりやすく納得したので引用させて頂きました。




支えるのは、筋肉の力ではなくて、『氣』がメインのチカラ。

『ふぁんそん』
つまり、体内の無駄なチカラを極力抜き、そこが『氣』で満ちて
『ちから』によって、ワタシ自身、ワタシのまわりの円(球)を支えられている状態。

上記の図26のように、それに加えて身体全体でバランスが取れた状態で
身体の中も、外も支えあっている。

丹田は必然的に出来上がり機能する。


太極拳の動作が至った定式の形も、動作中も
『ちから』により、常に内外のバランスが取れた状態なのだ。

中心(下丹田)へ向かう『ちから』と、外へ向かう『ちから』…

それが上手くバランスが取れたときが、その時だ!


って、どの時だ(^_^;



調和。。。



戯言戯言 (^_-)-☆

2013/06/11

氣沈丹田… これでいいのか… 


氣沈丹田 とは… 


①最初の頃… かなりの間、体感としては全く分からなかった。

②意念と息を吐きおろすことによって下腹部になんとなく氣?を沈め
 他とは違う感覚の、そこが丹田かな?と…

③太極拳要項などが上手く出来た時?
    そうなった時に自然に氣が沈んで下丹田が出来る。
    それは下腹部のその空間にある球体で独立した生き物のようでもある。

④特に何かを意識することはなく、「ふぁんそん」するのみ…
 ③の氣沈丹田から、さらに沈み?尾骨に付く?乗る?感覚になり、
 丹田は安定し自由になる。 
 上半身も下半身の関節も自由になる。筋肉もかな…


この最後の体感をしてから、暫らく出来なくなっていた。
というより、ならなくなっていた。
それは、自分で意識してしようと思って出来るのではなく
そうなるのだから。

最近、③の氣沈丹田も出来なくなっていたのだが…
今日、④の感覚に、またなるようになった…  が、
いつでもスグに、という訳でもないんだよね…まだ(^^;)

③は下丹田はここです!と主張していて、充実感が凄くある(私の感覚でね(^^;))
④は下丹田が主張していなくて… 全身に広がってしまう感じなのだ。
でも、動きはそこから発生して、そこの動きにより動作になる。


すべてがゆるんでいる…ふぁんそんな…
なんとも安定した自由で不思議な感じなのだ…


これでいいのか?


これでいいのだ(^O^)/





とりあえずはね~(^_-)-☆

またまた、意味不明な戯言でした~♪( ´θ`)ノ

2013/06/06

無極は… 空(くう)で「ふぁんそん」


「太極は無極にして生ず… 」 と 「太極拳経」の最初にある。

太極(太極拳)になるには、まず無極である必要がある…


では、無極とは…  

無? 何もない?


ふぁんそん(放鬆)とは、
字の如く、鬆(す)、即ち、空洞(空洞感)が四方八方に放散している
状態の体感である。その体感は、皮膚という内外を隔てるバリアを越え、
この大自然と一体になった、いわゆる天人合一の体感であり、空(くう)
の体感である。
http://blog.livedoor.jp/fansonkurabu-benkyoushitsu/archives/25899934.html

植物性機能に着眼したのが、ふぁんそんテクニック
http://blog.livedoor.jp/fansonkurabu-benkyoushitsu/?p=13

 ↑ 私が、ふぁんそんテクニックを教わっている、
和気さん(和気信一郎先生)の言葉をお借りして…

「無(む)」というのは、何もない。
「空(くう)」というのは、空(くう)という存在がある。



私が、昨日 
「ふぁんそん」を極めれば、無から太極が生まれ…  となる?
と、言った、この「無」は、
ふぁんそんテクニックの空(くう)の状態、つまり「ふぁんそん」

そこから、丹田感覚が生まれ、氣沈丹田・虚領頂勁と陰陽に分かれ
身体の内側の動き⇒ 身体の外側の動作となり 太極拳となる。

だから、意識的に氣沈丹田にして虚領頂勁にしてではなく
自然に動き出して太極となり… ということね!

分かるかなぁ~(*^^*)







天人合一というのは…

自分の皮膚のバリアーをなくし自然と一体になる
それで太極拳をおこなえば、瞑想太極拳というのだろうか…


太極拳は敵に自分の氣を悟られてはいけない… と聞いたことも…
皮膚にバリアーをはり己の氣を外へ出さないということ?




また、話が それそうだ…(^^;)



まっ、私が出来るのか~とかは、別にして(^_^;)
いろんな感覚を味わう事が出来る太極拳があるって 楽しいね(^_-)-☆