アナトミー・トレインは、
解剖学的見地から、全身の筋膜、筋筋膜のつながりを地図として表現したもの。
姿勢の補整と動作の安定がどのように得られているのかを、列車の路線や駅
に喩えて解説されている。
現在の私にとっての筋筋膜経線(アナトミートレイン)は、
その大まかなラインを把握しているだけなのだ。それを意念で繋げること。
繋げるといっても、それは繋がっているものなのだが(^_^;
以前にも、関連記事を書いている ⇒
ラベル・アナトミートレイン
身体の中を内観して、そのラインにアクセスする
アクセス出来るまで,繋がるまでが速くなってきた。
つながる。めざめる。シャキッとする。ゆるむ。
ながれる。気持ちがいい。
どこか重いとか怠いとか凝っているとか…
そういう不調な部分が一瞬でなくなり身体が楽になる。
まず、朝の日課だ、目覚めていない身体が目醒める
気持ちよく動き出せる(*^^*)
これを知る前、出来るようになるまでは
坐式ゆらぎや、手首足首を回したり、マッサージ的な事を
して、毎朝時間をかけて身体を緩めほぐしていた。
これを何と言うのかは定かではない、自己流だから(^_−)
多分^^; 「筋筋膜を繋げて目醒めさせる」
朝の場合はザッとでOKだから 1分 2分 もあれば十分。
それ以外にじっくりしたい時は、もう少し時間をかけるけど…
この筋筋膜覚醒(勝手に(^_^;))で、氣も流れてると思うよ~
氣功の時の流れていく感覚とは違うけど、特に労宮が感じる(^_−)
でも、全てのアナトミートレインは…
開通していないかもしれないな…何本あるんだっけ…
って、くらいの大雑把さなのだけど(^_^;)
あぁぁ~
ほんとは易筋経とか習いたいんだけどな~
形じゃなく内の使い方をね(^_-)-☆
それで、就寝前はスワイショウとか
和気さんの
ふぁんそんテクニック 坐式のものがメインだけど、
をして、ふぁんそんして内功、静功などして、寝るのが日課だね。
これは自己感覚なので、言ってるほど大した事は出来ていないとは思うけど、
取りあえずは私の生きていく上で物凄く重要な役割をしている。
こういうことを知らなければ、心身ともに病んで
原因が分からない不調が続き病院巡りをしてるね、きっと(^_^;)
あっ そうなんだよね~
両方共、身体の中を緩めるなんだけど、私の中では
筋筋膜を繋げて緩んだ感覚と、ふぁんそん感覚とは全く違うもの。
「ふぁんそん」は、中国の言葉で、「放鬆(ほうしょう)」と書き、リラックスとか脱力などと訳されています。放鬆の「鬆」は、「大根に鬆(す)が入る」という時の「鬆」で、中が空洞になる、固まっていたものがゆるんでいくという意味です。また、「放」は、開放、放散などという言葉に表れているように、四方八方に自由に広がるという意味です。ですから、放鬆は、中がゆるんで空洞(実際は空洞感)になり、その感覚が体いっぱいに広がるという体感のことなので、単にリラックスと訳さず、その内容的な意味を大事にするために、そのまま中国語で読み、しかも、そのやわらかな感覚を表すために「ふぁんそん」と、ひらがなで書くようにしているのです。と、和気さんの説明。そうそう~その細胞レベルで緩んだ空間に氣が満ちて広がっていく感覚、空(くう)感、至福感、私が思う「ふぁんそん」
「筋筋膜を繋げる」は、ここ⇒(
筋膜)で書いているように、筋膜は全身に張り巡らされた立体的なクモの巣状の膜で、筋肉を包んでいるのが筋筋膜。筋膜が縮んでいると包まれている筋肉も縮んでいる。みかんが入っているアミ状の袋で、入っていない状態から入れた状態、つまり網目が広がって形を作る。この場合みかんは無いのだから、その部分は緩んだ状態になる。この例えが分かるかな…(^_^;) だから、上記のように 「つながる。めざめる。シャキッとする。ゆるむ。ながれる。気持ちがいい。」という感覚になる。あくまでも私個人の感覚だけど。
私には、上記の二つでは緩められない時、ところもあるので、
手などで身体の外側からほぐしたりツボをおしたりもする。
あと、太極拳関連も含まれるかな(*^^*)
これらは日々の自己メンテナンス。
それと、休日で都合がつけば
自然の多い公園とか森林など自然の中へ行って元氣をもらってくる。
あっ うちは、もともと田舎の部類だけどね(^_-)-☆