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2012/12/07

開放感。。。 一体感。。。 至福感。。。


座禅・・・



瞑想・・・



氣功・・・ 




今、私がしているのは何なのかな・・・ 

夜、就寝前にしたりしてるんだけど
自分流でだけどね

昼間もチョコチョコとは、やったりするけど

まぁ~名前はどうでもいいんだけどね(*^^*)



心も身体も『ゆるめた』状態で、
あぐら?らしき座り方(蓮華座も出来ないから(^_^; )で


百会、印堂、壇中、命門、湧泉、労宮…  など
ツボを開いてやる



ゆっくり 吸って・・・ 

ゆっくり 吐く・・・



開放感。。。



一体感。。。



至福感。。。













結跏趺坐 (けっかふざ)は、仏教ヨーガにある瞑想する際の座法結加趺坐と書く場合もある。
「趺(あし)」とは足の甲のこと、「結」とは趺を交差させ、「跏」とは反対の足の太ももの上に乗せること。したがって趺を結跏趺して坐(すわ)ることをいう。結跏趺坐は足を結んだ形をしているのが特徴である。片足を乗せる上下で吉祥坐・降魔坐と呼び、その意味も異なる(後述)。
なお、足を結んだ形ではなく、両足を重ねる座り方を、半跏趺坐(はんかふざ)という。

  • 吉祥坐(きちじょうざ)、左足を右腿の上に乗せ、右足を左腿上に乗せる方法。脛の交差は右が上となる。蓮華坐(れんげざ)ともいい、悟りを開いた者の坐法である。
  • 降魔坐(ごうまざ)、右足を左腿上に乗せ、左足を右腿の上に乗せる方法。脛の交差は左が上となる。修行中の姿をあらわす坐法。



2012/09/11

足裏の『湧泉』というツボは開いているのか?


なかなか太極拳をしてみての検証までいかない… (^^;;


足裏にある『湧泉』というツボはどうだろう・・・

手(労宮)ほどではないが、開いた? のかな?


ん・・・

開いたという表現がイマイチ ピンと来ないが…

2012年1月12日 (木) 17:23時点における版のサムネイル
こんなふうにパッチリ開くわけではない
当たり前だ(^_^;)ノ   

しかし、もわぁ~と内と外が繋がっている感じと
感覚的にだが、パチっと開いた感じがあるのではないか?

それは、命門とか百会とか労宮とかでもあるのでは?

・ ・ ・ ・ ・

掘り下げると上がってこられなくなりそうのでσ(^_^;、
今は置いておいて

足も以前に比べれば、氷は溶けてかなり温度が上がっている(^^;;
冷房とかの中だと爪先とか冷たい時もあるが湧泉も温かいな
左右の足裏を向かい合わせくっつけると 気持ちがイイ(*^^*)

開通? 


これは、あくまでも私個人の独り言です・・・


2012/09/09

「百会」を開く

「百会」を開く…

ん〜
今、座ってやってみているのだけれど…

これが 百会を開くということで、いいのかな?

太極拳をしている時は、どうなっているにだろう?
すごく気持ちがいい時は開いているのだろうか…




http://inamasa.blogspot.jp/2012/02/blog-post_05.html  
以下、  ↑  こちらより引用させて頂きました

頭のてっぺん,頭頂の一番高いところにあるツボを「百会」(ひゃくえ)という。もう少し精確にいうと,左右の耳介(耳たぶ),または,左右の耳孔を垂直に結ぶ線と顔の真ん中を走る正中線とが交叉するところ。解剖学的にいうと,頭蓋骨の縫合結合が最後に完成するところ。生まれたばかりの赤ん坊の頭蓋骨の縫合は完成していないので,ペコペコと動いているのがわかる。その部分が「百会」。

指先の感覚の鋭い人であれば,正中線をたどって頭頂にいたると,ほんのわずかに窪んで柔らかいところを見つけることができる。ここが「百会」というツボ。もちろん,赤ん坊の百会に触れてはならない。からだの中の気がとおる道。

この百会に対応しているツボが「湧泉」(ゆうせん)。足の裏にある土踏まずの部分にある。この湧泉から大地の気を吸い上げ,からだを通過させて百会から,外に放出する。気がとおる,という。熟達してくると,涼しげな風を感ずる。とても気持よく,快感そのもの,と李老師はいう。

「百会を高くして立つ」と,李老師はいともかんたんに仰る。ところが,これがまた,とても難しい。ただ,立つだけのこと。太極拳は,この立つ姿勢にはじまって,最後もまたふたたび,ここに帰ってくる。礼にはじまって礼に終る,と武術の世界ではいう。太極拳ではこの立ち姿にすべてが集約されている。この立ち姿をみれば,どれだけの熟達者であるかは,即座にわかるという。気の流れるからだをわがものとすること・・・・これが太極拳の究極のゴールでもある。

百会が開くと,大地の気と天の気が自由自在にからだを流れるようになる。すなわち,自然界とからだとの一体化。このときが至福のときだ,と李老師はいう。「気持ちがいい」「快感」「恍惚」と表現はさまざまに変化する。しかし,そこは明らかに自己の身体の<外>と交信する場でもある。「わたしの身体がわたしの身体であって,わたしの身体ではなくなる」<場>。