2013/03/06

流すのではなく流れる(^_−)−☆


太極拳において
外の形だけではなく内側が重要だ
内側の動きによって外側の動きとなる…

内側の動きは
呼吸と意念で自らが自らの身体の中で
末端へ…  中心へ…  と流していた。

それも、ありだろう。

そういう意味での途切れず流れるようになら
簡化太極拳24式でもできる
ずっと意念を使いっぱなしで…
集中しっぱなしで…
疲れるけど…



しかし、自分で操作するのではなく
その流れは自然…

さらに私の中だけに留まらない
周りと私が一体になる…

それには、その自然な流れが
流れ続ける動作である必要があるよね



相変わらず
私は楊式太極拳の規定套路を使っている^^;

自然な流れのままに、それが途切れないような
動きには…  ほぼ? なっている…

あっ、競技としての規定からは外れるよな…
それでもまだ無理があるところも あるな…(^^;;



途切れずに 行って… 帰って…  の繰り返しではなく
それは循環しているのだよね〜(*^^*)

「流すのではなく流れる」

最近、その感覚で遊んでいる(^_−)


伝統拳というのか…?
そういうものをやりたいけど…
習いにいけないなら、形だけ覚えても仕方ないし…

☆〜(ゝ。∂)



2013/03/03

節句に太極拳で邪気払い(^_−)−☆


太極拳の呼吸は基本的には鼻から吸って鼻から吐く。

今日、森の中で太極拳をした時
氣がついたら、
鼻で吸って口から吐いていた
ふぅぅぅ〜  と。

私としては無意識だったんだけど
それが自然だったので、套路の最後まで(*^^*)


後から氣がついたんだけど…

採氣して…
身体の中を流れ…
邪氣を出していた…


(*¨)(*..)(*¨)(*..)うんうん   ☜ (自己納得 ^^; )



最近、体調が良くなかったので、森へ元氣を充電にいったのだ。
歩きながらや立ち止まって採氣していた。そして太極拳をした。

しようとしても出来ないと思うな〜 
今日も無意識だったから(*^^*)



あっ そうだ!
今日は3月3日 ・上巳(じょうし)の節句
無意識だったけど、邪氣払いをしたのかな(^_−)−☆ 
        ⇩   昨年の日記


なるほどね… (^_−)−☆ 



2013/03/01

弟子の準備が出来たときに師匠がやってくる


シニアグラス(老眼鏡とも言う^^;)をかけないと
手元、近くの文字はボヤけていて見にくい… 見えない。

部屋の明かりも眩しいのが苦手で、
普段は少し暗めにしている。

メガネをかけて部屋の絨毯をみると、
今まで見えていなかった落ちている髪の毛やゴミがみえてくる。

さらに、電灯を全灯状態に明るくすると、
メガネだけでは見えていなかったゴミ類が、またまた見えてくる。

ゴミを拾い、さらに見ていると…
どんどん新たなゴミが見えてくる。



私が見える状態でなければ、ゴミがあっても見えないとういことだ!
掃除してないだけじゃないか!と言われそうだがσ(^_^;

何が言いたいかというと…  

ん… 例えがオカシイか(^_^;



『弟子の準備が出来たときに師匠がやってくる』 


それは…
タイミングよく現れるのか…

いや、例え近くに師と仰げる人がいても、重要な事を目にしていても
私が受け入れられる状態になっていなければ、気づかないということでは…

つまり、すべては私の問題ということなのだと思う。


今の私には、何が ミ・エ・ル のかな(*^^*)